歴史は重要な事柄の記録の積み重ねで成り立っているんだろう。
重要裁判の記録 保存と管理の見直しを
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の事件記録を、神戸家裁が2011年に全て廃棄していたことが判明。裁判所の基準では永久保存の記録に該当するにもかかわらずである。裁判所は記録を廃棄した経緯を検証し、保存制度と管理体制の見直しにつなげ、関係者は後世に残す重要裁判の記録を再認識すべきだ。(147文字)
「読売新聞 社説 家裁の記録廃棄 後世に残す意識を欠いていた(掲載)」より要約
947文字を150字要約。
タイトルは「重要裁判の記録 保存と管理の見直しを」とした。
要約のまとめ
これが全体の流れは、
神戸家裁が事件の記録を廃棄。
基準があるのにどうしてこのようなことになったのか?
この出来事から裁判所は経緯を検証して、保存と管理の直しする必要あり。
関係者は重要記録を残す意識の再認識を。
主張は「なければならない」「すべてきだ」で表れている語氣の部分で、「保存と管理を見直すべき」「関係者は重要裁判の記録を再認識すべき」だと判断した。
要約までの記事分析
要約する際におこなった記事の分析です。
キーワード
神戸地裁、廃棄、重要裁判の記録、永久保存、後世に残す
テーマ(何ついて述べられているか)
裁判所の重要裁判記録の保存制度について
主張(何を言いたいのか)
重要裁判の記録の保存制度と管理体制を見直すべきだ
主張の根拠や理由(要約に入れなくてもいい)
- 永久保存するかどうかの判断を現場に任せてきたことが原因か
- 永久保存の基準が全国の裁判所に十分浸透していないかもしれない
記事を読んだ感想
記録があっても、その記録が浸透していないと世間では「ないもの」となる。
記録が残っていたとしても一部の場所のみで、世間では「歴史として語られる」ことはなくなってしまうだろう。
自分に「過去の重要事件や裁判を知っているか?」と問いかけても、思い浮かぶものは少ない。
今回の記事の「神戸の事件」も「あったな」と思い出すが、普段は記憶の奥底である。
重要事件の記録であっても、時の流れが、まるで地層のように奥底に追いやっていく。
奥底へと追いやられた記録を再び世間に出すには、
掘り返す人
広く伝える人
聞く人(伝える人にもなる)
が必要になるだろう。
この人たちがいなければ、掘り返されないと埋まったままで、知ることができない。
「人は二度死ぬ」と言われる。一度目は肉体的に、二度目は忘れ去られることで。
歴史の記録も、資料・文献がなくなり、記憶する人もいなくなれば「なくなる」のだろう。
読解力を磨く
読解力がつくと学びが深まる。大人に必要な読解力を身に付けるための具体的な方法が書かれた一冊。
「文章のどこに注目すれば良いのか」や「要点をどう読み解くのか」など、手取り足取り教わっている感覚で「読み方」を学べる。
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